a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

西鶴一代女(1952) - こういう女。どの時代、国も問わず。

溝口健二監督。

“THE LIFE OHARU”という英題があるとおり、お春という人物についての話である。原作は井原西鶴の「好色一代女」。江戸初期の作品である。

嫌われ松子の一生」という映画が最近流行ったが、本作とほとんどストーリーが似ていて、平成版西鶴一代女といって差し支えない。本作の方が原初であって、本作をカラーにして大衆娯楽要素のコメディ比重を相当に上げて文化的補正を行えば、嫌われ松子の一生となるとも言える。

家柄に対してプライドがあり、自身の感性に対して絶対的に信奉的であるが故に、対外的な世間一般に対して迷信的という、心の弱点を描いている。そのせいか、自分の信条に従っているようで、だんだんと世間的に堕ちていく。これは昔も今も変わらないテーマであるし、そういう女は現代にも居る。

本作の主人公が、もし家柄が高くなかったら成り立たない。遊郭で銭を拾い集めてそこに順応して終わりになるのが普通である。もし自身の感性を信奉していなかったら、身分の隔たった者と交わることなくそこで終わりである。「あなたの身分で雅などいうものはわかる筈もありません」という台詞には、身分の隔たった男を拒絶しているようで、そのような男の手に入ってしまう性格を表に表してしまうという、背反的な真理がよく表現されている。

それでいて迷信的な人間である必要があり、迷信的でなければ夫が死んだあとに仏に頼ろうとはしないのであって、そこで嘆いて終了である。

芸術性をもちながらにして、大衆娯楽としての性質ももちあわせる特徴とは何だろうか。

芸術性を土台にした作品で、大衆の現実をうまくカリカチュアライズ出来れば、それを満たすだろう。

障子の裏から樹の影が映っている。動く猫が映る場合もある。撮り方が巧い。光の扱い方を相当に追求しているようである。