Lauro Chartrand監督。
女と男がいちゃいちゃするのだが、女は全裸なのに男は黒のパーカーを着たままという謎な構図がある映画。こう、画面に対する美意識というものの絶望的な不在を感じる。
麻薬取締の警察官と、麻薬密売人が銃で殺し合うという、通常のストーリーを地で行く。このようなストーリーのみをシンプルに画面に収めようとする場合、例えば街中で銃撃や手榴弾爆煙をだしても、近隣住民がおどろいて起きだしたりなどはしない。近所に人間など誰もいないかのように、静まり返った死の町のような様相である。
それもそのはずで、あまりにもストーリーをシンプルに表現する結果、本作の映画世界には例の警察官と、麻薬密売人とギャングスターしか存在しない町になっている。あまりに簡潔、空疎、そして人間の実世界からは孤立している時空間である。ただし、そのようなB級映画こそを好む人もいるのであり、私としてはなんとも口をつぐむことでしか自分の立場を表現できない。
S.Seagalの出で立ちからふるまいまで、屈強な男として完璧にスクリーンの中に収まっており、説得力がある。途中の戦闘シークエンスなどは、ボクシングの影響を多分に取り入れているのだろうか、相手の顔をなぐって、血が飛び散るというような撮り方である。これは、そういうシーンが好きな演出家が担当していた、というだけの話なのだろう。ただの演出の特異性の一種なのである。