Tobe Hooper監督。
本作のこのだらだらとしたストーリーに、音楽がHenry Manciniである。大した映画ではないと思うのであるが、音楽が超一流なのである。
私にしたら、『JM』に続く、一年に一回は鑑賞したい映画である。この範疇の映画とは、決して映画の作り方として良いとは言えないが、映像の取り方に感性が強いと思っている。
ストーリーの映画としての描写は追求しなくてよいのか ? そんな態度で大衆娯楽的な映画を馬鹿にすることはできない。どのような映画にもそれぞれの映画の特色があり、それはジャンルごとの文法に分類的に従いながら、それぞれの個性を出している。それらをすべて弁証法的に理解する上において、分野の貴賤を前提することは、弁証法の完成を阻害する。食わず嫌いや、その裏に優生的思想をしのばせることは、非常によろしくない。
最後のシークエンスで、Steve RailsbackとMathilda Mayが抱き合って、Lifeforceを吸いながら終わる。ストーリー壊しもいいところである。しかし、21世紀に入って、このようにストーリーを崩しにかかること、そして女におっぱいを出させて、男の生気を吸っているだけで終わりという映画、これらは作る事がむずかしい。もうそれでは企画で通らない時代になっている。しかし、作ったらダメな理由はどこにもないのである。この手の作品が少ないからこそ、目にふと止まると、一年に一回は観たいお気に入りに登録されてしまう。