a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Barry Lyndon (1975) - 典型的な悲劇の変遷を観る。

Stanley Kubrick監督。

典型的な悲劇のストーリーである。しかし、伝記物のテイストにしてその主人公が死ぬまでを看取るような、ごく普通のことを監督は描写していない。決闘によってのし上がった主人公が、決闘によって片足を打たれて怪我をして、故郷に退散するまでをもって終了する。決闘によってひと思いに死ぬということにしない点、Kubrickは少し変わっていると思う。おそらくよい意味において、変わっているのだと思う。

同様の観点で、終幕は主人公が退散するショットではなく、主人公を追い出して別れたMarisa Berensonが黙々と財産処理をしているショットで終わる。この点も、一般的な伝記物のテイストにして変わっている点である。

製作時代が異なるのであくまでも参考であるが、『エディット・ピアフ』であるとか『ソーシャルネットワーク』など、最近の伝記物は主人公からはじまり、主人公によって幕引きする。これらが、主人公以外の登場人物が写るショットによって終幕したとすると、もしかしたら上手くストーリーを終了させられなかったかもしれない。

映画の悲劇には、非常に便利な小道具がある。悲劇のエピソードには更にそのエピソードが追加されていくように、下りの階段を落ちていくボールのようにする事があるが、つまり、逆にBarry Lyndonが第一章でのし上がるときには、階段をボールが不自然に跳ね上がっていくような、幸運な偶然を連続的に加算していく。下りのボールには、さらに下れるように用意される小道具があるが、それの代表はおそらく酒である。子供が事故死して、当然主人公は悲しみにくれて自宅にもどるが、また良いタイミングで酒におぼれてくれるものである。

酒は、大方は二通りの使われ方をしている。ひとつは悲劇の予感として。これは『アイズ・ワイド・シャット』で冒頭のパーティーでNicole Kidmanが、夫と別れていきなりシャンパンを一気飲みするショットがあり、これに多少なりとも不意を突かれた観客が居るであろうが、そのような登場人物の悲劇を開始するかのようにふるまう酒である。

もうひとつは、男女がその仲が深まったことを了解するような説話を持つショットで使われる酒で、階段を跳ね上がれるように、その段差の閾値を低くするようにふるまう酒である。この効果については、いずれ別の映画で述べる。