a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Passion (1982) - 人の本来を描く作品を観る。

Jean-Luc Godard監督。

古典音楽を多用している。それらは、3ショットにわたって継続して流されることもあれば、1ショットの中で開始と共に始まり途中で中断されるように途切れることもある。大勢の人間が集まってくる状況においては、特に大団円のオーケストレーションを特徴とする曲が流れる若干の傾向がある。音楽を利用して、おそらく、連関の薄い別々の人間同士の行動や感情をつなぎ合わせるようにしているのだと思う。

そもそも、人間本来の性格からすれば、別々の人格を持つ人間をひとつの場所に集めたとしても、自発的にストーリーが形成されることなど在りえない。この告白は、ほとんどの映画についてその存在合理性を葬り去ることになるので、あまり公に言うことはできないのである。実は、別々の人格を持つ人間が集まると、最終的にはそれぞれ意思が異なるので散り散りばらばらになり、そして二度と戻っては来ない。ある一つの目標に向かって、複数の人間が最後の最後まで歩みを同じくして協力し続けることはまず起こらない。人間の本来は、本作こそが正しい。

実際に画面の中では、それら別々の人格を、音楽の力によって糊付けする。古典音楽は、昔から教会で用いらているように、初対面の人間達であっても一つの象徴に心を向かわせる仕組みであった。それを、画面内の人物達と、それを知覚する観客に分けても機能したというのが、本作からわかる点である。

より一般化させて言えば、ある一人においてストーリーの展開をすることは可能で、二人以上の集団をストーリーにすることは本来は破綻を招く。三人以上であればなおさら難しい。『ブルーバレンタイン』では二人の関係が破綻するが、それは人間の本来として正しい。恋愛映画のほとんどがハッピーエンドに見えるのは、それらが告白か求婚の段階に焦点を当てることがほとんどで、二人が破綻する前でフィルムを止めるからに他ならない。

であるからして、人間の本来を巧みに描いた本作は、映画に正直であり、かつ滅多に拝見することのできない秀作である。

Raoul Coutardの撮影が非常に巧みである。