a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

The Holy Mountain (1973) - 「映画なんて観るな」と映画のラストで説教する非凡さに対して。

Alejandro Jodorowsky as director

『エル・トポ』に似た世界を踏襲しながらも、アイディアをさらに膨らませ、映画ならではの表現を沢山提示した作品である。映画鑑賞する上で更なる鑑賞を触発される。

初めに目を引いたのが、人間から出る体液がいかにカラフルであるかという点であるが、これは映画とは虚構なのだから何も驚くことではない。しかし私はこれに今さらながら驚いた。なぜなら映画を沢山観ていると、特に最近の映画を観ていると映像の正確性への絶対的な信奉が見て取れるからである。『華氏911』はブッシュ大統領を痛烈に批判したドキュメンタリー映画のようにも観れるが、その実は報道という体裁の仮面を装った大フィクションなのである。しかし、カメラでおさめた映像は編集しないかぎり永久に真実をおさめ続けると思うと、映画が虚構だという大前提を忘れる。本作は、それをいやおうなしにでも再確認させてくれる2時間を提供している。映画マニアや映画が好きな人ほどたまらないだろう(それか、まったく観ていられないかだろうけれども)。

本当に世界を見渡せば、そこには沢山の昆虫や動物、植物から構成される自然が存在し、無機物もふくめてそれらが循環している。本作はその生態系の中に位置づけられていて、人間もそのエコシステムのたった一部なのである。だから、殺戮された人の腹の中からは赤い花びらや生きた鳥が平気で出てくる。映画の虚構性を利用すれば、そのような描写はむしろ容易い。そして、映画の虚構性を忘れた人ほどこの映像に意表をつかれる。現代の映画監督には、この芸当はなかなかできないだろう(そもそも配給できない)。映画のもつ重要な武器の片方をどこかに忘れてきてしまったのだから。

映画という媒体でこそ華麗に描写しえた監督の世界観が、本作で十分に体験できる。体験しただけで十分だということが、私にはよくわかる。視聴後にこの映画から余計な観念や哲学を考えることは要らない。実は、視聴感想文など最悪である。現実を見よ。世界を見よ。「映画なんてみるな」と作中で登場人物が教えてくれたではないか。