a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

The Yakuza (1974) - 文化の美しい衝突を観る。

Sydney Pollack監督。

いい映画であった。風呂場での殺人シーンが凄いと思う。魚のごとく刺すという比喩が似合いそうなそのシーンは、他の暴力的な映画のどこにも観たことがなかったので、久々にスリルを味わった。

「道」という単語にはさまざまな種類の道路を総称する道という意味と、仁義を意味する道という二つの意味がある。英語の「road」にはその両義性がない。作中で日本のやくざが言っている義理とはむろん後者の意味で使っているから、外国人にはわけがわからぬ。つかみどろこの無いルールとしてストーリーを良い意味で統制しているのである。それは映画を観る喜びとなる緊張感である。

私は、日本人が作ったやくざ映画があまり面白くないと思う。本当の緊迫感があるだろうか、日本のやくざ映画に。日本人は「道」に両義性があることを、学校で習わずとも肌で知っている。それを概念としてではなく、民族の個性として知らず知らずのうちに文化として身に着けている。それを仁義だとか任侠だといって叫んだところで、うわついた言葉遊びに過ぎぬ。けじめをつけたり、かたきを取ったところで、もしくは壮大な派閥抗争のストーリーの展開に対して驚くにも足らぬ。吹き出る血や生々しい傷口に驚くかもしれないが、自らのオリジナリティや価値観が揺さぶられるわけでもなく、案外、心の奥底ではあぐらをかいて観ている。

日本人の仁義が概念として映画で映えるのは、その意味で海外の作家が解釈した説話でしかありえない。日本人の「道」が海外の思想と反撥し、その差によって輝くときにしかない。本来美しい思想である「道」は日本人が作ると同郷の観客にエンターテイメントしかもたらせないのに、海外の人が作ると芸術的に見えるのは、皮肉な話である。