Henry Lehrman as director
暴力沙汰は非日常的なフィクションであるにせよ、当時の風景をそのまま切り取ったような作風が私を安心させた。Chaplinは常に弱者の側に立っていたから大衆に愛されたとする構図的解釈が一般的に言われるが、それは違うと思う。弱者すなわち大衆の立場に立ったという賞賛は、一つのイデオロギーだ。イデオロギーが個人の感動をもたらすのではない。富裕層でもChaplinは好きだし、教養が深い人こそ彼を愛している。彼が一番に嫌った権力者も、Chaplinを観たらたのしいと感じる。教養が深くても浅くても関係なく愛されるのがChaplinである。
それは、彼が日常的な風景の中で喜劇を演じているからじゃないか。観念的にも概念的にもならず、むしろそのような日常的に根ざさないものから縁を切って、私たちが住んでいるところに降りてきて愉しませてくれるから良いのだ。好景気・不景気、政治思想も関係ない。イデオロギーから自由であったから、さまざまな思想や境遇のカオスである大衆に受け入れられたのに違いない。