奥行きを最大限に活かした撮影法。時々奥行きの途中で横へと移動するが、その後はまた奥へと移動することが多い。それか奥から手前へとやって来て、近位にて水平に横移動して、また奥へと歩いていくパターン。また、観客の視線を近位から遠方へと動かす意図も多く見え隠れする。Andrei Tarkovsky監督の他作品にもよく見られる。
雰囲気で観れてしまう映画である。戦争の実写が挿入されたり、雨の中で家が燃えたり、子供の夢の中の様なシーン、母親のシーン、子供の現実のシーン、それぞれが時間軸的な必然性をもたないで切り貼りされている。そのために難解で、ストーリーがうまく追えなくてむしろ当然で、監督の自叙伝としての雰囲気がある。監督の匂いがなんとなく伝わる作品。 それだけでなく、監督の生きている世界を映すという手法で、ロシアの現代の歴史を映すという歴史的貴重さも備えている。
若き母が、生々しい女として描かれている。性があるが故の弱さというか、どことなく原罪を思わせる演出で、ラストに十字架がそびえているのが印象的である。 監督はこの映画かもしくは別の映画の中で、「ロシアこそ、もっともキリスト教の影響を深く受けている国である」と役者に語らせている。