Sergei Eisentsein監督。
彼がゴスキノで製作した記念すべき作品。
モンタージュを基礎として完成させられた映画であるという予備知識があるか無いかには関わらず、本作には数々のdetail shotが使用されていることが、観たらすぐにわかるほどの綿密なモンタージュである。
映画の説話的空間を、あるdetailの形象=意味として転化した場合に、観客の頭の中ではその転化が自然と受け入れられるということを、明瞭に証明した作品であると考えられる。蜂起する民衆の握りこぶしをとって、その民衆の感情を説話しようとした点などが例に挙げられる。
また、影や逆光を利用して、それを説話にしようと取り組んだ功績もあるだろう。子供を抱えて「do not shot」と訴える母親の目の前には、無数の兵士の影のみが描写されている。かの有名なオデッサの階段のショットの一つである。その兵士が、どのような感情で懇願する母親を見下ろしているのかは、今日にいたるまで誰にもわからない。当然、これからもわかる人間は現れなどしない。監督は、その真相を意図的に葬ったのであり、その非形象=意味という当時にしたら曲芸的な説話までも目論んだのであった。この野心がすごい。
そして、その影による非形象=意味という曲芸は、それから多くの映画人が踏襲し、あるいは独自の解釈で発展させることによって、今では多少高等なテクニックを持つ監督であれば普通に使用するまでとなっている。