a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

INTOUCHABLES (2011) - 障碍者テーマ作の名作

Olivier Nakache、Éric Toledano監督。 私が泣く映画は、20作観た後に1作ぐらいのペースである。この映画は、久しぶりに涙が出た。

かなりブラックジョークが過ぎるのでは? そう個人的にひやひやする部分が多いのだが、よく考えてみるとそれは固定概念であることに気づく。つまり、観客が持っている全身不随の障碍者に対する無意識な線引きである。その線を軽々と超える、正確に言えば線自体を認識していない人間と、彼が介護する男との日常物語である。固定概念に捕われた線引きが、いかに”実用的”でないかを教えてくれる作品。物事に対する枠を勝手につくることが、無意味であるということだ。

それで、なんで泣いたのかというと、私の親族が障碍者という身内的な事情もあるのだが、ひとえにストーリーが良かった。ラストが非常に良い。劇中全体を通して、フィリップの視線を時々いれて、彼が時々自分に自身が持てないことを描写していた。そのことで、個人的に諦めなければいけないことがあり、ラストでそれが実現するストーリーになっている。最後のフィリップの涙が、彼が乗り越えた壁の大きさを物語っていると私は思う。

真面目な解説を辞めれば、お茶目な障碍者と介護者が、古くさい慣習を無視して、あざ笑うかのように突き進んでいく映画である。古くさい慣習というのは、たとえば歌劇とかクラシック音楽とか。 四時間もあるような格式張った歌劇をありがたがって聴くことと、障碍者に一定の線引きをして接することは、本質的に同じだということをこの映画は述べている。そして、主人公が意図的に歌劇の役者を「どうしちゃったのあの人?」と吹き出して笑いこけ、また西洋絵画を自分の絵の具で汚しても意に介さないことで、意図的にその慣習の壁を乗り越えようとさせている。そのおかげで、障碍者に対する慣習的な線引きというものが、いかに慣習や格式のようなものであり、そしてまったく実用的ではないことに気づく。そういった配慮がこの映画にはなされている。