宮崎駿監督。
最後、ハウルの城が瓦解してから、ストーリーの勢いがある。カブの呪いが解け、ハウルと主人公が結ばれ、しかも世界中の戦争が終わるまで、わずか三分である。本作にとっては、世界と愛を動かすにはたったの三分だけあればよい。残りのストーリーは、戦争やら荒地の魔女やら様々にあるが、すべてがこの三分のための前座のようである。
この三分のためにソフィーは、非常に快活で冒険好きな性格になっている。それはどうでもよい設定なのではなく、ソフィーとして在るには必須であった。主人公としての彼女の冒険が弾み、その終着が訪れた時にはじめて、世界と愛が動く。彼女の冒険が十分にストーリーとして描いて終焉すると、世界や愛が動いても誰も文句を出せない。本来ならばおかしいはずである。彼女の無鉄砲な旅によって、ハウルの城が瓦解したことは、明瞭なアンハッピーエンドなのではないのか。ここでオセロを返すような幸福な結末になるところが、映画の快楽がもたらした魔法である。その快楽は、映画を知っている監督でなければ描けないし、その監督も人生の元気なうちでなければ描けない。