Dario Argento監督
彼の作品におけるホラーの源泉は、誰かの書いた古い小説、昔の絵画や戯曲に含まれるある種のオカルトである。そしてそれらを女が信じたがる。さも女は絶対的にオカルトを信じる存在であると疑わないかのように、Dario Argentoは女をそれを信じる存在として脚本を書いている。しかし、他人にべらべらとそれをしゃべることはせずむしろ隠そうさえする。かといってそれを忘れようとするのではなく、その存在を突き止めようと探し始める。そこに、少女だけを特異的に執拗に殺すホラー的存在、アルジェント的猟奇的殺人鬼の存在が成立する。オカルトを信じているから、かすかな風になびくカーテンに殺人の匂いを敏感に感じ、女はちょこちょこと動き回りはじめる。動かないでじっとしていれば良いものを、叫ばなければ助かるものを。彼女らが寝込みを襲われることは一切ない。むしろ自ら死地に赴く。動かずにはいられない、すなわちオカルトを感じずにはいられない存在としてあるのが女である。それはオカルトへの興味では説明がつかぬ、オカルトを信じてしまうより根本的な人間的性格に関するアルジェントの基本姿勢なのである。
どうにも男にはこの代役ができないと彼は考えているようで、初期作の『歓びの毒牙』『4匹の蠅』にも男がオカルトを信じて行動している形跡はどこにもないのである。男はただ場当たり的に殺される。偶然的オカルトの被害者になる。だからオカルトを本当の意味では目撃していない。目撃するのは彼の映画においては女の役目である。