a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Singin’ in the Rain (1952) - talkie, silentの主題を両手に持った名作。

Gene Kelly, Stanley Donen監督。 帽子やらマネキンやらが、蹴られて画面の外へぽんぽん追い出されていく。テンポがよくて安定した名作。
silentとtalkieという対立した主題には、男と女の情念に重ねてしまい、統一して解決していくのが王道の構図である。言い換えれば、この時代は映画の方法論が変わったハリウッド全盛期であり、本来であれば激動であったその時代の流れを、二人のactorを抱き合わせることでうまく表現してしまう。つまり、silentには男優、talkieには女優をrepresentさせておいて、最終的にふたりがうまく行くようにもっていけば、二つの主題を合わせた明るい未来につながるのである。
であるからして、この類いの脚本はかならずハッピーエンドにならないと巧く回らない。配役で重要なのは、talkieには華やかな性格があるため女性をキャストするのがよく、また男は女性がいるからこそ新しい時代に歩み寄るという、極めて健全な構図になる。
けっこう前の映画部で"the artist"を観たが、フランス初なのでけっこう心の闇に焦点を当てているものの、構図がまったく同じであることがおわかりだろう。
これで、silentに女性をあてると、新時代を受け入れられない人柄として構成する必要があるので"サンセット大通り"のような事になる。また、バッドエンドになっているということなので、本人は新時代というテーマを受け入れることに確実に失敗しているのである。

このように、ハリウッド事情を題材にした映画は、男女の情念によって、新時代へと歩んでいった(例外もあるが)という特徴。

ここで現代の映画と比べると、女性が独立することが当たり前になりつつあるので、割と女性は勝手に動くことが増える。社会的に男女の違いがわからなくなってきている。社会が意図的にそう成熟しているので、時代に内包されている二項の対立軸を男女に重ねる構図がむずかしくなってきている。だからなのか、男女の交渉がもたらす結果がより内面的になってきていて、個人のあたらしい未来を象徴するようになってきた。アクション映画のラストが、さんざんドンパチやったあげくにキスで完璧なのは、壊された側としてはふざけんなよという話なのだが、闘いに勝利した男にすばらしい未来が待っていることを強調するためである(もちろん、あえて振られさせる場合も多い)。
ヨーロッパと違い、地理的な制限がない分だけ自由に時代を開拓していったアメリカでさえも、現代においては開拓できる境界がなくなり、その視線は代わりに内面へとむかっている。
この"雨に唄えば"が名作で現代人もたのしめるのは、その社会的な対立軸の昇華にポイントが高いからではなく、単純に実力が高いからなのであるが、その裏には現代では実現不可能に近い男女の役割の違いがある。