a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

The Perfect Host (2010) - Pierceの演技がなかなかである。

Nick Tomnay監督。

David Hyde Pierce主演。なかなかの映画である。これで後半に採用された、在り来たりのラストストーリーが無ければ、よい映画になっていた。ポイントは、主人公が食事会を再び開催するという、繰り返しの型を作成したかったということである。この作品にあった、主人公の開催する宴はそれ自身が堂々と行われているものである。そこには、世間に見つかってしまったらどうしようという、主人公の世間体を気にする保身的な感情は一切考慮されてはいない。その証拠に、プールサイドから住民は自由に出入りができるほどセキュリティーには無頓着だし、仮装であったとしても血だらけになっている男は平然と自宅目の前の塵捨て場に捨てている。それであるにも関わらず、男を捕まえられるチャンスを、「おまえの正体をばらすぞ」と言われることで逃亡に加担してしまうのは、大いに疑問がある。

Boulezとまではいかないが、その系統に近しい音楽がながれている。

Pierceの演技によって、映画の良さが決まるのであれば、映画の感動とは俳優に依存的であることになる。それはリアリスム故なのか、それとも非リアリスム故なのか。大いに考えさせられる映画である。少なくとも彼は存在自体が、変質者としてもリアリスティックな雰囲気であった。そして、冒頭から、歩く姿勢が異常であり(異常:一般的・日常的・平均的とは多少なりとも異なるか逸脱していること)、異常であるための演技下地を整えていたということである。Clayne Crawfordが劇中終止にわたって足を引きずっていたのに、気付いたであろう。足を怪我していることが、本作のストーリー展開においては特段の関係がなく、実は在っても無くてもよい演出である。しかし、ストーリー展開ではなく、映画描写の観点においては、Pierceが異常であるということを、相方であるCrawfordも歩き方が異常であるということで、バランスをとっているように見えないか。画面を異常ではなく正常にバランスさせているように見えないか。もし、Pierceの宴に迷い込んだ人間が、こざっぱりした英国紳士であったら、端正な黒人であったら、本作は面白いものになっただろうか。しかし、Colin FirthやWill Smithのような俳優ではない。より一般人的で、名前の売れていないが演技の上手い男である。すなわちカリスマが振る舞いや顔立ちにない人間だ。その人間が、本作に出演して普通にいじめられている様子を想像すると、私はぜんぜんおもしろくなるようには思えないのであるが。

詳細はまだ考察していないが、ストーリー展開とは別の事情により、高度に演出される分野があることを発見した。(2015.5.10)