a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

思い出のマーニー (2014) - 女同士の愛情を観る。

米林宏昌監督。

どことなく、中盤までのストーリーがレズ映画のそれと似ている映画。登場人物の性格から、ストーリーの運びまでそっくりである。言い換えれば、未成年や子供であっても、大人と同じ感情表現が可能であるということの証明である。

ストーリーは面白いので、もうすこし画としての描写力、ストーリーももう少し大胆に構成できた方が良かった。

アニメの冒頭ストーリーは、私の偏見ではあるがおおよそ次の二つの柱によって構成されているように思う。ひとつは、主人公の精神的・霊的な意味での問題点や苦悩の提示。ふたつは、その問題を解決する空想的な場や人物の登場である。これは、アニメ映画全般において見られる事である。

主人公の抱えている苦悩の提示については、例えば借金苦のような経済性、障碍を持っているという肉体性のような人間社会のバラエティによるものではなく、もっぱら一般的な健常者(しかも経済的にも恵まれている若者!)の精神的な悩みに特化している作品が多いかもしれない。それは、私にとってはアニメ一般が多少嫌いになる理由というか、一般のアニメ好きが嫌いというか、若干の違和感を持つ。どうして、わざわざ普通の人間の、しかも恵まれている人間の心の繊細さばかりを表現するのか。映画の表現とは、もっと幅広い人間達に対する、幅広い苦悩を表現するものである、と思う。

問題を解決する空想的な場や人間については、一度は提示される。その後、世間一般の人たち、実写映画でいえばエキストラのような人物達が、その場や人間を風評する。どの映画においても、その全ては悪評である。「行かない方が良い」、「心臓を取られてしまう」、「不気味」などと言ってくれるが、結局は主人公は興味本位か偶然で行くことになる。悪評が立っている場所で、実際に居て経験してみるとそこが悪評とはかけ離れた人間味のある場所であると知るということ、それが主人公の問題解決には必須であると、そう言わんばかりのストーリー展開となる。