Edwin Stanton Porter監督。
20世紀の最初頭、西部劇の元祖と一部で呼ばれている作品。
完全無声であるので、映画音楽が使用できない。その制約の中でいかに映画をドラマチックに仕立てることが出来るかがポイントであるように感じてならない。
撮影は固定カメラで遠景が多く、電車から馬で逃亡するシーンのみパン撮影。撮影でドラマチックに仕立てることをしないので、専らストーリー上の展開のみで映画をドラマチックなものにしている。すなわち、列車強盗が無事逃げ切ることができるのか、という可能性が上昇するのか減少するのかに関する興味である。そうなれば、映画の最小単位とは、ストーリーの展開にあることは間違いなさそうである。
また、最後観客へむけて弾倉にこめられた6発の銃弾を発射するシーンは有名である。映画世界で進行していたと思われていた列車強盗が、唐突に観客の目の前で再現されるのである。この意外性に、当時の観客は突然の危機を感じてか、悲鳴をあげたという。換言すれば、映画世界の中に観客を引き込むための最小限の要素は、本作の中に存在していると言えよう。
無声無音なため、銃で撃たれた場合にはかなり大袈裟なアクションを取る必要がある。銃弾が当たる瞬間は画面に収められる筈がないからである。そのため、二三回くるくる回って倒れてみたり、二回ほど空を仰ぎ見たり、打たれる瞬間をカリカチュアライズするわけである。