北野武監督。
いくつか映画の音楽と空間について。
まず音楽の開始は、ストーリーの展開に数秒先立つ。ストーリーの展開や、映画世界内での位置が大きく変わる際、ある特徴的な音楽を流すことによってその移り変わりを印象づけることが普通である。本作においては、それらが変わる数秒前に音楽が流れることが基本になっている。
また画面の水平面は、ときおりかしがる。映画世界の座標が大きく飛ぶ場合には、かしがることの優位性がもっとも生きる。もし座標を大きく変えるのであれば、それだけ画面上の構成を変えねばならぬ。例えば沖縄から東京へと舞台が変わる場合、沖縄の公園のシーンから、東京の公園のシーンへと移ってしまうと、その座標の変化が視聴者に分かりづらくなる。そのため、沖縄の公園の後には、東京の歌舞伎町に変えるなどすれば良く、こう言ってよいのであれば、変えるという行為があからさまである分だけストーリーは追い易い。画面の水平面をかしがせることは、映画世界上の座標が大きく変化する場合にのみ、有効である。
本作は、誰かが誰かの可能性の量を変化させるため、そのたびに映画世界の様相がめまぐるしく変わる。本作のように映画世界の均衡がプリズムのように変わる作品は、あまりない。