北野武監督。
個人的に好きなのが、やーさんのネクタイの柄である。今時こんな柄のネクタイはお目にかかる機会がないのであるが、それは柄があまりにも遊びすぎているからである。ビジネスに使えないし、案外とカジュアルファッションにも合わせにくそうである。
ところで、画面に対して水平に何人もの人間を並列させる構図が多い。この構図は個人的には好みである。
遊戯を撮るシーンが圧倒的に多い。花火、クレー射撃、紙相撲、ロシアンルーレット。競争要素がないものでいうと釣り、沖縄の踊りなど。こどもの感覚を思いだすとはまさにこのことである。そしてまた、ここまで映画の中で発生した遊戯を列挙できる映画など、他には私はまだ観た事がないのである。
そして遊戯の中に突然とあらわれる現実的な死。これは本当にたまらない。やはり遊戯というものの本質とは、現実世界を逃避して、現実世界の進行とはまったく隔絶された空間に居ること。そして現実世界の規則とは縁を切り、その遊戯のルールがその空間と時間における絶対規則であること。ヤクザの抗争という不穏な空間から完全に隔離されたような、平穏な沖縄の空間で遊んでいるというシナリオについて、私は遊戯そのものを完全に把握しきった作品であると考えざるを得ない。
女が効率的に使われている。もっとも、傍観しているという行為がもっとも生きる役でではあるが。
主人公の人生を変える可能性の量がゼロになる瞬間、すなわち主人公が死亡したときに、物語は終了するということ。この原則が忠実に守られている作品でもある。