Darren Aronofsky監督。
電車の中に気持ち悪い男が居たが、稀にみる気持ち悪さであった。
バレエの主役に選ばれた女の人の、主観的な幻影を描いた映画である。
音楽には二種類あり、現実世界の日常に流れている、生活の中の音楽を再現する場合と、感情を惹起させる形而上の音楽の場合である。前者は私たちが現実世界においても聞くことができるが、後者は聞くことができない。
たとえば、浴槽に沈んでいる状態で目を開き、バスタブから女が覗き込んでいる幻影を見る。その際に、人を不快にさせるような不協和音などの効果音を流すのが普通である。本作においてもほとんどが、幻影が出現する際には効果音が流れている。効果音がなければ、映画世界で起こっている現象自体はそこまで恐くはないわけで、その恐さを演出しているという意味で、効果音も形而上の音楽である。
このような形而上の音楽はフィクションであるから、多様することで全体的なリアリズムの統一に欠ける可能性が在りそうである。もともと、本作のようにリアリズムではなく、主観的な感情の起伏や幻影を映すのであれば、音楽がフィクションであってもかまわない。
また、劇的に正しくという意味で、人間の表層から人間の感情を汲み取ることは普通はできないので、音楽をフィクションとして用いることもある。
なぜガラス片が突き刺さっていても、素晴らしい演技をすることができたのか。これが人間という生物の謎なのである。