a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Le Fabuleux Destin d’Am?lie Poulain (2001) - 最後のキスの演出がにくい。

Jean-Pierre Jeunet監督。

1973年9月3日、Amélieが誕生したところから話がはじまる。そして駆け足で彼女の幼少期を振り返る。そして1997年9月28日の11:00にAmélieがどのような結末をむかえたのか。

空想にふけるAmélieは、非現実的なようで案外と現実的な人間のようにみえる。しかし、音楽が特徴的だ。映画の節々でながれる音楽は、決して映画世界の現実の中で流れているものではないが、彼女の頭の中で流している音楽であるようにも思える。それか、もしくは語り手のもくろむ話の抑揚を、音楽で演出しているのかもしれない。どちらにしても、それが空想の中の音楽であることは確かなのだ。

それが、最後のキスの演出ではどうか。Amélieの頭の中に音楽は鳴らない。相手の首や唇の端にキスをする。ついに、彼女は空想ではなく、現実の中で生きることができたのではないか。音楽のよい使い方、それも音楽を使わないという(傍点)使い方が上手い。

そして自転車にふたりでのり、Amélieは恋人の背中にくっつき、彼の肉体の匂いを存分に嗅いでいるのであった。

人間の意志をかくとは、人間の自由を描くことである。こう、謎なものが謎じゃなかったという、『市民ケーン』のような展開もある。

ところで、物理学的な音を変えると、空間的もしくは時間的な飛躍が手に取るようにわかる。たとえば、部屋の中から、金魚の鯨を捨てに公園へと移った場面など。特に無音の場所から、雑踏のある場所へと移る場合、その推移がきわめてわかりやすい。