a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Air Force One(1997) - せまいはずの機内が、せまく感じない不思議。

Wolfgang Petersen監督。

ストーリーの典型において、主人公の敵は身内に居る。最後の最後にて、護衛隊のひとりが突如として裏切るような真似をして、観客は困惑させられるのであるが。少なくともアメリカのアクション映画においては、まるでなにか形而上の巨大な陰謀が、主人公の身辺にいる人間に乗り移り、悪事をはたらき主人公を邪魔するように動く。そこに、人間としての理性や感情の描写はないことも多く、ただ”悪魔的”に動くようである。これは日本人の私にとっては奇妙でもある。しかし、『end of violence』にあるとおりだ。映画の中ではありとあらゆるものが襲いかかって来る。サメ、警察官、殺人鬼、そして中国とロシア。どれも対話不能な悪役として登場し、対話不能であるが故に殺害するしかないという状況が、アクション映画における基本前提である。これは至極妥当な理屈によっている。対話が可能であれば暴力手段に訴える必要はそもそもなく、対話可能である相手に暴力を振るうことは野蛮である。主人公がヒーローとしての格を保つためには、野蛮であるわけにはいかない。そこで、悪役を対話不能前提におくことが、都合がよい。よく悪役は、なぜ主人公の邪魔をするのか、人々の幸せな生活の邪魔をしようとするのか、その動機を主人公に質されたときに、「俺の気持ちが分かる筈はない」と不可知論者的に叫ぶのは、おそらくそのような基本前提の表出型なのである。

本作に関して、せまい機内において、空間のせまさを感じさせないカメラワークを感じることができた。