a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

The devil's advocate (1997) - 映画史には残らないが名作だと思われた。

Taylor Hackford監督。

今日観ると、才能があるなと思わせる部分が多々ある。そろそろ公開されて二十年が経とうとしている。今日に原罪をテーマに取り扱ったのは、Lar von Trierの『アンチクライスト』が最後のように感じるが、どうしても原罪のテーマを直球で扱っていくには難しい風潮になった。特に、日本人は原罪という感覚すら持ち合わせてはいない。登場人物が、自らの欲望を発揮していき自らを燃やす様をストーリーとして追っていくことしかできない。その先には、原罪とはかけ離れた、自己啓発的な悲劇が浮かび上がってきてしまい、おおよそ西洋の古くから継承されてきた教義にはたどり着かない。しかし、それで良いのだろうと。人間は悲劇が好きであるし、映画もまた悲劇を得意とする表現手法であることが、本作を観るとわかるだろう。これは非常に重要なこと。映画の本質は悲劇にあって、いかなる映画においても悲劇を描く姿勢があり、それをしなければ途方もない観ていられない作品になる。役者は悲劇ができなければ何者にもなれず、たとえばアイドルなどが役者に挑戦しても迫真に迫らないのは、悲劇ができないからである。音楽はどうか。音楽は一世紀半前にニーチェが指摘したとおり、悲劇から誕生している。そして、今日に至るまでの映画において、音楽を効率よく使うという前提において、音楽の助けを借りなければ映画の感動は成立しない。この点も、映画の悲劇性と音楽の悲劇性というふたつの相同性が、合目的的な一致として親和してくるようにみえる。

本作は原罪をより直球で説話的に、その説話をグラフィカルに表現している。原罪自体が根幹的なテーマではなく、人間の欲望と自己愛が最上の罪であるというのが、主人公が最終的に気づいたことである。それに気づいたために、彼は自分の人生が「人間として」向上するように人生をリアクションするようになる。彼は悪魔を裏切り、悲劇のすぐ裏に希望の劇を見出すという、そのような内容である。