Charlie Chaplin as director
部屋を散々に壊しておいて何が仕事か。そう憤って観る作品である。ただし映画史家の中には本作を労働者階級と資本階級の対立として観れば、圧倒的に労働者に同情を向けているようにも観えるという。確かに、前半ではCharlieは馬かなにかであるかのように鞭打たれ、後半はメイドのEdna PurvianceとCharlieが労わりあっているショットだけ唯一本作の後半でツーショットで撮ったから、それらは象徴的に強調されていると判断しそう観ても間違いない。ただ、Ednaの手をさりげなく握ったCharlieは彼女に嫌われたから、たとえ労働者階級への意識が芽生えた作品としても、まだまだ自分で作ったお決まりに忠実なのである。これが、弱者同士が恋結ばれる展開によって、弱者階級のペーソスを打破する感動が生まれるという発想はたとえば『街の灯』を待たなければならない。
(Edna Purvianceは同じ労働者階級の人として手を握る。決して、男チャップリンに魅了され握っているのではないのだ。)