Alfred Hitchock監督
ストーリーの主軸におかれるのは、レベッカという魔女のような人格のように描かれる故人の解明であり、その趣旨からして今回
の作品は妖艶なものになった。それを引き立てるのは、終始おどおどした、虫一匹ころすことができないような人間で館に嫁いでくるJoan Fontaineの、対照的な人格にあるわけであるが、彼女は撮影期間中にスタッフたちに無視されたり邪険にされたりして、そのような雰囲気をまとったらしい。事実かゴシップなのかはさておき、妖艶なる人格というのを映画で追求することは可能で、ヒッチコックの作品には必然のその艶やかさが出る。つまり、毎回彼は妖艶な人格者とその犯罪を描いていると言ってよい。
今回のレベッカはすごい人、それも超豪邸のマンダレイに住んでいる。今から書くことは映画の評価というよりは原作の評価になってしまうが、すごい人だからこそ、妖艶に見えるという事実を見逃してはならない。ボロ屋の、それこそ召使の家の妻としての彼女であれば、それはただのボロボロであり、妖艶にならないどころか作品の興味を惹起できない人になる。すごい人だからこそ、ひどい性格を付与することで特有の艶やかさが演出できるのである。
ヒッチコックは、以後の『めまい』でもそうであるが、原作に非常に忠実である。今回もそうである。