Travis Fine監督。
作品のカメラワークはまだ未熟だけれど、興味深い作品。なぜなら、作中にゲイ(これは演じている)とダウン症の演者が登場する。ダウン症児であるMarcoを演じるIsaac Leyvaという人を私は知らなかったが、本作の状況にやや感動した。
映画に限らず、社会的にある辺境的な偏見がある人間を題材にするのは容易いが、実際にその者達が社会の文化の一翼を担える機会は乏しい。映画という演者が絶対必須の空間において、ダウン症である演者が立派に役をこなしているという状況に、私は21世紀の映画の在るべき姿の片鱗を観た気がした。ああ、なんて先見の明がある映画であろう。
数ある監督の中には、毎作品の中に障碍者と認定されている者を演者に取り入れることを信条にしている人もいたと記憶しているが、その肝心な名前を忘れてしまった。ただ、本来社会を正しく描写しようとするスタンスの映画であれば、社会の人種構成をただしく反映させたキャスティングにするのがフェアではないか。
本作はそれが透徹されている。
法廷で争うシークエンスがあり、わりと長く尺がとられていた記憶があるが、そんな法廷のシーンなど見飽きているし、本来の本作の主眼ではなかったのではないか。描写の配分を決定的に間違っている。