a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Sharknard (2013) - サメ台風とかいう稀に見るふざけた映画。

[レビュー開始初期の執筆なので、気取って書いた箇所が含まれています。 あえて修正せずに残しておきます。追記2014.10.21]

Anthony C. Ferrante監督。

このSharknardは、その映画モチーフをまったく踏襲せず、ただひたすら空からサメを降らせるだけの映画である。

この映画は、一連のJAWSシリーズとは何の関係もない映画である。そもそも、JAWSシリーズとは何だろうか。

JAWSシリーズは、1975年に鬼才スピルバーグによって初作が製作された。その後、ぽつぽつと続編が登場した。

最終的に4作目までが作られることになったが、連作となる映画にはよく見られるように、初作の威光が強すぎて後作が霞む傾向にある。

JAWSは映画界の教科書に残るようなアイディアを非常にたくさん残している。

数々のストーリー構成のひな形や効果音の使い方に至るまで、それらは多岐にわたる。

そして、後作の監督がどのように作品を作っていったかというと、

それぞれ独自のアイディアやCGのモチーフを取り入れて行くのだけれど、JAWS一作目のストーリー構成についてはまったく同じに踏襲している。

海という、茫洋とした空間。それも何物かの存在の接近が認知できないような空間のなかに、ヒトと巨大サメを投入するのである。

海と巨大サメの組み合わせが良かったことには、海中では魚というものは無音で泳ぐので、巨大サメが接近する場合には聴覚が封じられている。

これは観客にとっては一種の恐怖で、いつ画面にサメが現れるのかの予測がたてられない。作者にとっては、サメを隠しやすいともいえる。

あとはどのように料理するかは、監督の腕次第である。

また、海と巨大サメの組み合わせのもう一つの利点は、船底は当然みることができず、また海面は光が反射して深いところまでよく見えない。

これもサメの出現を極限まで観客に隠す。海上では、逆説的ではあるが、人間は視覚が制限されてしまうのである。

そこで、背びれを出すという技を使えば、サメの存在を自在に出したり消したりできる、というわけだ。

これらの理由から、海とサメの組み合わせというものは非常に絶妙な、格好のモチーフである。

海は、巨大サメを隠す為の巨大な舞台装置ー地球の70%の面積を持つという天然の舞台ーであったというわけだ。

これが、映画撮影の巧さは各作ごとに違えど、共通してみられた映画特有のモチーフであった。

その潜在的に秘めた海とサメの劇作性は、非常に洗練されていて、とても美しい。

この海とサメの関係を一切無視し、ひたすら空からサメを降らせたのが、本作である。

ストーリーは洋上の小舟から始まる。中華系の人とアメリカ系の人が闇取り引きをする。喧嘩して撃ち合いになる。

すると突然空からサメが降って来て、甲板にどんどん突っ込んでくる。

中華系の人は、彼は売値にいちゃもんを付ける。アメリカ人に打たれた挙げ句に台風サメに食べられてしまう。

それから後は、街に台風が接近、台風サメが人間めがけて降って来てひたすら食い殺してくる。そういう映画である。

ストーリーでおどろいたのが、開始10分で10人ぐらい食われたのに人々が普通に疑問無く生活しているということ。

サメが台風にのってやって来て、人間を食うのは自然現象になっているらしい。これはもはや現実ではなく、ファンタジーであることを意味している。

ここまで沢山サメが出て来ると、どうやって倒して行くかというアイディア勝負になると思われるが、どうやって倒すのかというアイディアをみるのはおもしろい。

 

酸素ボンベを噛ませて爆発させるのは、スピルバーグが考案したアイディア。ここまで汎用されるとは、彼のアイディアの汎用力はすごい。

 

しかしながら、全体的にサメのCGがみじめ。こんなことではRazzies賞をとってしまうぞ。