Clint Eastwood監督。 ストーリーが真実や虚構、異なる時間軸同士の対比や、戦争シーンと祝典のシーンなど、とにかく複雑である。この構想には時間を十分に書けたに違いない。撮影方法も教科書かそれ以上のものになっていて、光の使い方がとくにうまい。この脚本に特有の構造の、フラッシュバックもまったく問題ない。そして一番の本作の技術があるところは、全体の脚本をインタビュー形式でまとめていることだ。もっとも技術の善し悪しがす速攻反映されてしまう難しい手法である。それが取れるのは、技術水準が監督の自信、そして観客や映画関係者の評価とも確立しているからである。この手の先がけはオーソン・ウェルズの「市民ケーン」である。
オードリーの春日みたいな人がひとりいるのが私の集中力を妨げたが、彼はどうみてもPTSDである。心から同情する。ただ、彼の生き方は彼の生き方で、私は気に病むようなものではなかったとは思うのである。
クリント・イーストウッドは、男性的な野性味の中にも精神的内面を記述するような繊細さを内包している。これが立派である。