Steven R. Monroe監督。
征服されたものの恨み、という題材もアメリカにおいては星の数ほど映画がでている。例えば『Mothman』では先住民族の恨みがストーリーの根幹になったが、本作ではマヤ文明がアメリカ大陸において征服されたことへの文化的な恨みが発端となっている。どちらも、被征服による怨念が主題となっているのである。そして、何らかの方法で鎮魂するために主人公たちは奮闘することになる。そして鎮魂して、結局は平穏な生活へと戻ることになる。アメリカ人がその主題に対してどのように感じているのかはわからないが、特にアメリカ映画においてこの主題が取り上げられている傾向にあるようである。
ただ、こういう迷信まがいなものは「科学の領域には入らない」し、科学分野ではなく映画分野が積極的に受け入れて来た題材でもある。逆に言ってよいのであれば、このような迷信こそ映画らしい。
謎の氷世界の猛攻や、若干チープな小道具が残念であるが、アメリカの開拓民精神とその反省という隠れた主題をみるには十分な映画であろう。もっとも本作の隠れた主題を抽出しようとしなければ、限りなく娯楽的な映画である。
キリスト教の影響を多少なりとも受けている国であれば、子供が死ぬようなシーンは撮るはずがない。もっとも、キリスト教でなくとも、子供が死ぬようなシーンを撮る国などないのであるが。
アクション映画の不文律とは、たとえ人が死んでもその人の死について頓着しないということである。そのため、人が死んでも、さらに次々と人が死んでいくというシーンを平気で重ねる事が出来る。更に言うなれば、国家や警察が事件に介入することがないという条件を前提としている。そのため、そのような前提において、人間性がどのように展開するのかを主題にするというテーマが、アクション映画における本質である。
現実世界ではこうはいかないことは言うまでもない。
クリスマス用の電球コードが身体にまきついてショック死するという、奇怪なシーンがある。