Raja Gosnell監督。
音楽上のあえて不一致な演出は、コメディであるか、もしくはミスマッチである。映画上の登場人物は緊迫しているであろうはずのシーンにて、あえてポップで楽しげな音楽を流している場合、それはコメディであるか、もしくは製作上のミスマッチであることがほとんどである。
もし好奇心を讃歌したいのであれば、好奇心をもつ子供を主人公として、彼が社会上の何かの問題や犯罪を解決するようなストーリー展開にすればよい。何の概念と何が戦うのかを決めるのである。そしてまずは、どこで闘いが起こるのかということ。それが本作では家の中であった。
多少、子供の闘いの成功が、敵たちの間抜けによって支えられているところが不満ではあるが、全体的にたのしめる作品であった。
登場人物の可能性とは、その登場人物が欲しいものであることもある。本作で登場人物が得たかった、ご近所のおばさんからの信頼や、母親からの愛情など。それらは、視聴者である我々がいつの時代か思っていた、欲しかったものであり、また希望であり願望でもある。それらを追求するからこそ、大衆は映画を観たいと思うのである。