a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

あなたへ(2012) - 日本のノスタルジアといえば、これ。

降旗康男監督。

北野武がキャンピングカーをのりまわす。

日本の任侠映画界を類希なる才能で牽引してきた高倉健が、これほどのノスタルジアにひたっているのかと、新鮮になる映画である。『網走番外地 北海篇』では刑務所から仮釈放されたやくざとして車を走らせるが、本作では刑務所の刑務官として暇をもらって車を走らせる。見ず知らずの人が偶然乗り合って来る構図は、『駅馬車』の基本をそのまま踏襲している。その人の中に前科者を混ぜる点も『網走番外地 北海篇』と同じ。この二作を表と裏だと考えてみたら、なんて気の効いた設定であることか。

新車をもつビートたけしと、十年以上かけてつくった手作りキャンピングカーをもつ高倉健が効果的に使用されている。新車という小道具を得て、手作りキャンピングカーから漂うノスタルジアは加速する。

「自分がきょう、鳩になりました」。なんと格好のよい台詞だろう。

日本の映画におけるノスタルジアは、本作のように人に対するノスタルジアとしては多く在る。一昔前、生きわかれた子供が母と対面するという形式が流行していたのだが(これに真っ向から反撥した形式を採ったのが溝口健二である)、日本の懐古主義的な話は人に対している。それも、女が男を懐古することは少なく、また男が女を懐古する場合には女は素朴でしとやかな性格である場合がほとんどである。

地域に対するものがすくないように思う。

旅には目的があるが、放浪には目的がない。主人公はノスタルジアに浸った後、目的を見つける。そこにストーリーが追認される。つまり、二時間ほどの映画において、最終的に可能性が提示されればそこには「ストーリーを観ていた」という満足感覚が押して来た波ようにいつのまにか満ちて来る。これがノスタルジアという作為の、論理的なストーリー展開の存在方式である。

懐古するシークエンスは、ネガにするなど画面の表情を少し変えるのが普通である。クローズアップをあまりしないので迫力はないが、役者の演技力が高いのでしっとりと魅せる映画である。高倉健の最終出演作である。

出来合いのキャンピングカーではなく、ワゴンをつかった自作のキャンピングカーで旅をする男が主人公である。