a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Pierrot Le Fou (1965)- 根底に潜むもの。

Jean-Luc Godard監督。  

 小説なるものと音楽なるものが、一つになることを拒み、互いに干渉するような作品と思っている。この小説と音楽とは言うまでも無く、小説をピエロ、音楽をマリアンヌとして映画の中で構造化されているものだ。互いの形式が完全に親和しない様を、それぞれの形式が好きな男と女の破局で描いているとも言える。そして、相容れないものは永続性を持つことはできないとわかる。それでは気狂いとはどこに在ったのだろうか。ピエロは気狂いとして残念な死を遂げたが、マリアヌンヌはそうではなかった。この差異に敏感であるべきだと思う。相容れないものを相容れさせようとする人を「気狂い」、もしくは馬鹿というのではないか。  ストーリーは面白いというよりは普通であり、普通であるよりは即興的という印象が似合う。即興的であるから面白い映画になるのかどうか、観る人によって評価は異なるはずだ。自然光で撮った海岸は綺麗ではあるけれど、全体的に画面が綺麗でもなければ、シナリオも適当であるという人も居ると思う。見所はどこか。それは「気狂い」を表の事象としたら、その根底で対になっている哲学であると思う。明らかであるのは、本作は即興で作られていても破綻はしなかった点である。もともと永続性を期待していないテーマに、永続性が懸念される偶発的な事態が起きても構わないからだ。「永続性を期待しない」という気狂いとは表裏の位置にある思想が同居しているではないか。その堅牢な哲学性を堪能するべきである。