Lars von Trier監督。
わざわざ章を分けるところは、劇作の文化を思わせる。本来的には、映画でわざわざchapterを分けることを作中に示さなくても良いし、本質的にはそれがなくとも作品の質を変化させることはない。また、chapterを示すショットには音楽をかけるものの、その音楽は劇中では流されておらず、多少勿体ないと思った。
映画における空間が手前で止まっている。何故かといえば、手前の位置構成でパン撮影ばかりしているからだ。奥行きを体感することができないし、監督も奥行きというものはなから意識していないように思う。むしろ、「パン撮影だけでどれだけ保つのか」と試そうとする監督と、その単調さに堪える鑑賞者との我慢比べのようになってくる。私は途中からは観ていられい気分になったが、それは映画ならではの良さが当初から一部制限されているところによって、明らかに生じている。