Bernardo Bertolucci監督。
ここまで官能的な画面を構成する監督も、めずらしい。つまり他のあらかたの作品に比べて、シーン単体の流れるようなカメラ移動がすばらしい。画面の中において、人物の遠近感が常に変化するので、実体が目のなかに侵入しては引いて行く。このような我々の視野を侵すような体験を、蓮實が官能的と表現した。まさに本作はその官能が発揮された、bertolucciの壮盛期の作品である。決して、全裸の人間がよく出て来るとか、性交渉のシーンが多いからという理由での官能ではない。たとえば、手前から左ななめ奥へと歩いて行く二人が横切ると、その奥側には左から右へと歩いて行く人物がいる。それだけであれば奥行きを示すための装置にも思われるが、Bertolucciは奥の人間に焦点を合わせ変える。他のショットに関しても、焦点距離を頻繁に変えるのが彼の本作の雰囲気であり、なぜ焦点を変えるのかといえば、異なる登場人物がカメラからの座標(距離)が異なるように配置されているか、もしくは異なるようにその片方かもしくは両方が動くからである。そのおかげで、焦点運動が押しては引くような、蓮實の言うところの淫らでエロティックな画面が構成される。還元すれば、カメラ技術の水準が高い。