a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

Repulsion(1965) - 不協和音の正しい使い方を観る。

Roman Polanski as director

カトリーヌ・ドヌーヴがどうして圧倒的な主人公級女優であったのか、本作から読み取ろうとした。『インドシナ』『昼顔』でも感じた、男から無理やりにでもキスされてしまう確率の多さ。精巧に整った容姿で他者を排斥し寄せ付けなさそうに感じるが、突然のキスならなんとなく許されるのではないかと思う。許されることと許されないことのミスマッチが起こる場が彼女の精神の中にあり、ストーリーを開始させるためにそれは大切で、またストーリーは彼女の中心で展開され彼女のふるまいは即ちストーリーであり、ストーリーは彼女のふるまいとなる。まさに思いのままである。役者として生きながらの主人公、それが彼女である。

本作は良作だけれども、細かい点は評価しないことにする。

ゴシップ的であるが、カトリーヌ・ドヌーヴのような女優は石原さとみにとっては雲の上の存在である。石原さとみは他者を一切排除する性質が無く、むしろ女の孤独感をひしひしと感じる哀れさがあり、男に迎合し、脱がないセックスシンボルのようになっている。能年怜奈は他者に迎合しないが、逆に不意のキスを許す精神的余白が無い。そのために恋愛映画では汚いものではない、初恋のようなプラトニックな純愛しか出来ないであろうが、その方式はいまのところは応用例に乏しくマンネリになっていて、役者として多少窒息している。桐谷美鈴は、色気があるのだか無いのだか釈然としないアンバランスな容姿があり、他者を寄せ付けないオーラがあるが、自分からバカをしそうな隙があり、故に2015年の映画興行の主要立役者になった。同じく立役者の有村かすみは、興味がないのでわからない私である。個人的に能年がすきなので、役者として隙の無い人間がもっとも生えるストーリーを小説で生み出せないものか。