a-moviegoer’s diary

2014年から1日1本の映画を観ていて感想を書き溜めています。そして今年通算1000本を観ました。これからも映画の感想を溜めていきます。東京都内に住んでいます。

JM /Johnny Mnemonic (1995) - アーティストが撮った、影の秀作。

Robert Longo監督。映画監督としてはあまりキャリアが無いらしい。

本職はアーティストらしいので、案の定映画視聴者が求めているものを表現していなく、実際に本作は赤字であった。しかし、可能な限り現実感覚のあるフィクションを追求しているようにも見え、その姿勢は現代の映画監督があまり持ち得ない(たいていCGでなんでも表現するようになり、現実感覚は試みず見捨てている)ため、20年を経た後にもある程度新鮮にみえる。

Nerve Attenuation Syndrome (神経衰弱症候群) という末恐ろしい病気が蔓延している社会。”incurable, fatal, epidemic, bringing fear and misery as old as the species itself ”ということらしい。この説明だと、感染性の神経変性症に違いない。原作のJohnny Mnemonicは1981年に執筆されたから、Prusinerがプリオンを証明した1982年の手前であるので、何かしらのウイルスのようなものを想定していたのであろうかと冒頭に思った。しかし、このNerve Attenuation Syndromeの罹患者が隔離されていないことが作中でわかりはじめると、ウイルスなどの生物的なものが原因ではないようだと察する。そうなると、非生物的な原因が社会にはびこっているということの結果なのだろうかと考えていたら、電子機器から発せられる電波が原因であるということが示された。

ヤク漬けのイルカが出てきて、このイルカは自身が入るか入らないかぐらいの直方体の水槽に入っていて、海軍に改造されてさまざまな脳の記憶を含む電子的な情報をハッキングできるという。これの実写化には度肝を抜かれた。発想が飛んでいてすばらしいと感じる。

ファーマコムがNerve Attenuation Syndromeの完治方法を秘匿にしていたという動機も、けっして性善説性悪説い則らない、人間の実際の野望からして妥当な心情であった。このような人間の実際を示す作品が、最近ではかなり減衰してきたように思う。

最近の映画や創作も含め、人間の実際や生々しい性格などを不問にして、まやかしや空想にひたすら傾倒しているのかもしれないと、多少異なる視点から物事を考えさせられる作品。当時は評価されなかったようだが、このような作品は名作と呼べる。

北野武が出演している作品である。北野武が子分の刺繍をみて「こんな漢字があるかよ、バカヤロウ」と言ってしまう、チャーミングなショットが唐突に入るところが、またよい。年に一回は見ておきたい映画である。