Anand Tucker監督。
緑を基調とした部屋を久々に観たという印象であった。確か、以前は『バクダッ
ドカフェ』でその部屋を観て、それから半年以上の月日が経って本作の中で久々
に観た。個人的な意見としては、緑の部屋は人間の表情を映すことには向かない
。よって、映画向きの基調にはなりにくいということである。しかし、監督は役
者の服に緑を取り入れるなど、より積極的に画面を緑色にしようとしている。北
野武のブルーはわかる、ゴダールのレッドもわかる、しかし映画における緑はよ
くわからない。個人的には緑を非常に好いているのだが、映画における説話空間
に緑が合わないように思う。
ところで、男女の肉体同士が接触したとき、もしヘミングウェイであれば「=情
愛」の図式に入ってしまいそうなものであるが、近代の映画であればそうはいか
ない。人間を身体と精神の統合体と考えた際に、精神の方により比重を置くこと
が近代における映画の定石である。身体の方に比重を置くことは、「前時代的」
もしくは「低予算でニッチな領域」の烙印を押されかねない勢いである。果たし
てその観念は本当に正しいのか、映画においては女優が着衣を一肌脱ぐことすら
も定石になりつつある映画界において、この二元論に対する解決は必要であるこ
とではないのか。
しかし、途中で抗うつ剤の話になって、確かにこの女は男と会う度にはしゃぎす
ぎていたなと思い返す次第である。